| 裏千家 |
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裏千家茶道学園の伝統は千利休(宗易)によって案出された原則に基づいています。利休が当時の武将である豊臣秀吉により、うやむやな理由で死刑に処せられた後、千家は断絶の危機にさらされました。その後幸運にも赦免され、利休の養子である少庵(宗淳)が利休の後を継ぎ、京都の本法寺近くの小川で茶の湯を教えました。その後、小庵の息子であると言われている宗旦と、宗旦の奥方でもあり利休の娘でもある宗恩(お亀)が後を継ぎました。宗旦は、彼なりの美意識で、今日庵に見られるような非常に小さな部屋を作り、禅の教えと密接な関係の中でその一生をお茶に捧げました。宗旦が隠居した後、彼の二人の息子がそれぞれの流派を持ち、宗旦の後を継ぎました。通りから見て家屋の前の部分は、長男であり表千家の家元となる宗左に与えられ、今日庵を含む後ろの部分は四男であり裏千家の家元となる宗室に渡りました。「表千家」「裏千家」とは、この出来事からきています。 小川の土地は千利休によって完成された茶の湯も含めて、次の世代に継承されました。1949年に淡々斎お家元が、茶道を学ぶ海外の学生たちのために茶道文化振興財団を設立しました。1964年には鵬雲斎千宗室が15代目のお家元を襲名されました。鵬雲斎大宗匠のご尽力により、茶道は日本のみならず、世界中で広く親しまれるようになり、今日では最も古いハワイを始め、アメリカ、オーストラリア、またパリやソフィア、モスクワやプラハといったヨーロッパの各都市におよそ80の支部が存在しており、その数は他の流派を凌いでいます。 鵬雲斎大宗匠は、茶の湯には大きな可能性が秘められていることに着眼し、裏千家の代表を各国に派遣し、とりわけ日本文化の穏やかな精髄の理解に努めてこられました。本来の形で茶会が催せるようにと、機能のそろった茶室を多くの機関に提供してこられました。 70年代後期に、海外からの奨学生がお茶を学ぶ新しいプログラムが、裏千家財団の後援する裏千家茶道学園において開学されました。このプログラムには「みどり会」という名前が付けられています。20年以上もの間世界中の色々な国から、色々な年代、職業の人々が京都に集まり、お茶の勉強をしています。また、お家元は毎年ハワイで茶道と文化に関するセミナーを開いています。また、茶道と日本美術に関する情報を盛り込んだ「季刊茶の湯」や「裏千家ニュースレター」といった定期刊行物を出版しています。 お稽古 裏千家はチェコ・日本友好協会にて毎週火曜日の18時30分よりお稽古をしています。参加をするのに特に予約の必要はありません。正座をするのに適した服装と、足袋のかわりの白い靴下をお持ちいただければ結構です。 問い合わせ先 チェコ日本協会 裏千家 茶道 Na Mustku 8/380 110 00 Prague 1 電話:+420-2-24216032 FAX:+420-2-24214810 Email: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にして下さい |


